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| 04.親父の「食い意地紀行」 07月30日 19:27 |
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朝起きると同時に、近くを散歩してみた。ベネチアの郊外にあるらしいこの辺りはツーリスト専用のホテルが、通りにに面して立ち並んでいる。
日本で言えば秋の日差しとでも言うのか、少し煙るような朝の光の中を通勤やランニングをする人が通り過ぎてゆく。
ホテルに戻りお決まりのようなパンと飲み物の朝食を済ませバスに乗りこむ、さあ今日はベネチアだ。アドリア海に面したベネチアは「水の都」「アドリア海の女王」と称えられ一時代を築いた。ベネチアは117の島と150の運河、400の橋で成り立つ水上都市だという。
バスは高速道路を降りると、やがて運河を埋め立てた長い橋を渡り駐車場へと付いた。ここからは水上バスで行くことになる。
波の結構荒い海を水上バスの運ちゃんが仲間のバスとすれ違うたびに大声で冗談を言っている。まもなくベニスの町並みが見えてきた。
サンマルコ大聖堂やドゥカーレ宮殿それを取り囲む多くの美しい建造物郡がこの世のものとは思えない光景として広がっている。

| 04.親父の「食い意地紀行」 07月30日 17:35 |
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ベローナを後にして私たちはアドリア海の水の都ベネツィアを目指した。北部イタリアの丘陵地帯と田園風景が夢でも見ているかのように美しく輝いている。
2日め日、やがて夕刻、私たちは高速道路の近くのこじゃれたホテルに宿泊した。海外旅行のツアー専用のホテルらしく、私たちのほかにもアメリカから来た老人会らしき団体と食堂で一緒になった。
みんなぶくぶく太り、すごい食欲に負けそうだ。息子が「俺よりすごい人がいっぱい」とあきれていた。
メニューは前菜がぺンネと第二の皿が魚のフライ状のもの、ペンネはおいしかったが、第二の皿が安いボラかなんかなのだろうか、いやに泥臭さが気になった。どうもこの旅は料理は期待できそうな予感がしてきた。
クーラーが前泊のホテル同様ない。町に魚の匂いというか、磯臭いにおいがした。おそらく海が近いのかもしれない。今日の夜もあのムクドリたちが一晩中「カンツォーネ」を歌っていた。

| 04.親父の「食い意地紀行」 07月21日 07:07 |
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昼食後私たちはバスでベローナへ向かう。バスの窓からは北イタリアの丘陵地広がる景色を眺めながらカルダ湖の前を過ぎてイタリアの世界遺産の都市ベローナへ目指す。
それにしてもイタリアの運ちゃんのスピードを出す事はすごい!時速180キロぐらいで高速を走っている、何よりも怖いのは車間距離をあんまり意識しない事だ。慣れるとは恐ろしいもの、俺もそのうちに、この荒々しい運転を気にしないで平気で眠るようになってしまった。
目が覚めると、蛇行する美しいアディジェ河を私たちのバスは渡っていた。この町は城壁に囲まれた世界遺産にも登録されている珠玉の中都市です。
日本でいえば京都に次ぐ金沢という所だろう。この町の中心の「エルベ広場」へ黒い石畳の道を歩いて向かった。中世そのままの都市だ。
そこで少し自由時間があり近くの高くそびえるランベルティの塔へのぼる。そこから見渡す世界遺産の町は素晴らしいものだった。
街には200を越える教会、ローマ時代の円形劇場などが見えた。それから私たちはロミオとジュリエットの家に向かう
(*女将と親父のツーショット女将が、触っているのがジュリエットの像の乳房。なぜか女性が皆触っていた?)

| 04.親父の「食い意地紀行」 07月17日 09:19 |
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イタリアの朝はあのかろやかなしかもうるさいムクドリの鳴声で起きた。
ホテルの地下の食堂でパンと飲み物だけの朝食を食べた後ホテルを出て私たちはスフォルツェコス城へ向かった。
いかにもヨーロッパの中世の城城を囲む堀の中に石の砲弾がごろごろしているのが印象的だった。城の中ではレオナルドダヴィンチの展示会が行われていたが時間が無く断念。
そのあとガリレオ ウィツトリオ エマヌエーレ2世という長い名前のショッピング街に行く。1877年完成というガラスと鉄の骨組みの巨大な建物をお登りさんよろしくきょろきょろしながら息子と二人でバール(イタリアの軽食喫茶)にいき美味しそうな物を物色。
ショッピング街を抜けると目の前に修復中の巨大なドーモ(教会)が出現した。500年もの歳月をかけて作られた内部は荘厳な雰囲気と威厳に満ち圧倒される。
それにしてもすごい観光客の数、まず日本人の多いのには驚かされる(イタリアは日本人の好みだという)。
昼食はミラノ風のカツレツとパスタ・・俺は不味かった。息子も家内も同じ意見(しかたがないか・・)。

| 04.親父の「食い意地紀行」 07月15日 23:51 |
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ミラノの夜
アムステルダムで乗り換えた飛行機はやがて宵闇迫るミラノ空港へ着陸した。
そこから私たちは高速道路をホテルへ向かった。イタリアらしいおしゃれなホテルだった。ところが少し蒸し暑いと思いエアコンのスイッチを探したらどこにも無い、あわててフロントに電話をしたら「ない」という。何てことだ!エアコンが無いなんて・・。
また、トイレに入ると不思議な洗面器がトイレの脇に同じような大きさである。後で判ったのだが「お尻洗い器」だという。こんなのはじめて見た。イタリアは法律で「お尻洗い器」を付ける事が義務付けられているのだと言う。お尻を器に突っ込んでジャブジャブ洗うらしい。
一晩中熱帯のジャングルにでもいるかのようにかん高い鳥の鳴声がしている。後で知ったのだがヨーロッパに住む「むくどり」の仲間だと言う。
イタリアのムクドリは日本の駅前の街路樹をねぐらにしている輩のように下世話な鳴声はしない。まるでカンッオーネを詠うかのように一晩中鳴いていた。

| 04.親父の「食い意地紀行」 07月14日 11:04 |
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事なきを経て成田を出発。
飛行機は北海道上空を経て、ロシアのタイガ-(大森林地帯)やツンドラの上空を飛び、やがて北極海の氷の上を飛んでいるのが見えた。オランダのアムステルダム空港へ向かい、そこからミラノ行きの飛行機に乗り換える予定だ。
KLMの客席は予想以上に広く中々快適であった。だた、景色を見ているよりも、寝ている時間が長かった。行機の振動音が眠気を誘い、起きたと思うと又寝る今までの寝不足を取り戻すかのように寝込んだ。
ロシアの上空もまもなく終わりに近づこうとする時に機内に急病人が出たという機内放送があった、どうやらお医者さんが乗客の中にいないかどうかと聞いている。幸い2名の医者が同乗しており、彼らの判断でフィンランドのヘルシンキ空港で病人を降ろすという機内放送がまもなく流れた
飛行機は急降下し、やがてフィンランドの森林地帯や牧場、民家も見えてきて、あちこち大きな岩がむき出しのヘルシンキ空港に着陸した。
どうやら病人は私の後ろの席にいた60代~70代の男性のようだった。飛行機は給油を終えて1時間ほどして離陸を始め、ロスした時間は1時間。添乗員が乗り換えにはまったく問題がないことを告げに来た。

| 04.親父の「食い意地紀行」 07月13日 23:39 |
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5月の連休も終わりに近づく頃、親父の疲れはピ-クに達していた。連休後半に風邪を引き、咳が止まらなく微熱が続き長引いた。
幾ら仕事好きの親父でも限界はある。調理にミスが多くなり、思考能力もおちてくるのがわかった。突然息子が「ああ~イタリアにでもいきてえな~」とぼやいていた。
気がついてみると、オリーブオイルを個人輸入している友人の影響で、イタリアの料理がメニューの中に増えていたし、何よりも素材の味を引き出すオリーブオイルの使い方には学ぶ事が多かった。いつかはいってみたいと機会を待っていた。
その友人がイタリア人のマリオさん(家族経営でオーガニックのパスタを作り販売している)を連れて籠太に遊びに来た。本場の料理を見てみようと言う話になり即座に行こうてな話になった。
開店20年を経た店は、あちこち修理やメンテナンスを必要とし、特に調理場の設備が古くなり入れ替えや補修が必要になっていた。特に屋根や外壁雨漏りの補修工事もしなければならない時期に来て、その日程を決めかねてもいた。
こうしてイタリア行きは決まった。インターネットで安くて良さげなツアーを探し、HISという人気の旅行会社のツアーを見つけて申し込む。
こうして23日夕方、成田に着いた私たちは「日航ウイングホテル」に前泊し、翌日、飛行場で他のツアーに同行する人たちと合流、午前11時発のKLMオランダ航空のジャンボに乗り込む予定である。
ここで問題が起きた、親父は1回目の例のごとく間抜けさをさらけ出す。何と!成田でHISの受付カウンターでもらったばかりの搭乗券を落としてしまったのだ。
イタリア行きもこれで終わりかと落胆していたら、幸いにも、拾った人がKLMのカウンターに届けてくれた。どじと間抜けの珍道中の始まりである。