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| 05.お薦め連載「季を食らう」 01月29日 08:59 |
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この浅葱,
何時ごろから食べたのだろうか。
記録を見ると、すでに平安時代には薬味や調味料などに使用されていた事が分かる。
そういえば、浅葱の料理に天麩羅が合った。あれも味噌汁やお浸し程ではないけれども、あまり好きではなかった。
やはり酒徒は「酢味噌和え」に限る。それも荒地や休耕地に育つやせ細ったものであれば申し分ない。
数年前に過疎で耕す人もいなくなった奥会津の荒れた畑から、浅葱を我が家の庭に移植しておいた。それが十年近くなるのに、株が年々増えてくる。友人を招いて、春の陽だまりの中、庭に手入れを終えて、素麺を硬めにゆで、庭の食べられる野草を具財として、天麩羅を揚げる。
雪ノ下、柿の新芽、木の芽、独活などである。但し油だけは最高級品を使用する。太白の匂いも何も無い、本物の胡麻油この油で揚げる。
この太白のごま油はぜひお勧めだ。お店が休み、庭の手入れを終えた後一汗かいてからの至福の時間だ
(写真は浅葱の花、ねぎぼうず)

| 05.お薦め連載「季を食らう」 01月25日 11:04 |
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小さかった頃、母親の実家に家の事情から預けられた。小さかった俺は、祖母についてよく雪解けの畑に連れて行ってもらい、浅つき摘みをしたのを想い出す。
いまおもえば雲水が禅堂で使用する。きょうさくのような浅つきつみ専用の棒で祖母は器用に畑から芽を出している黄色い浅葱を掘り出していた。俺は泥まみれになりながら、祖母の真似をして掘るのがとても楽しみだった。
旧会津藩士が開墾に入植した痩せた土地で、私の一族は士族の誇りだけを拠り所に生きるために苦闘していたようだ。食膳にはよくこの浅葱が毎日にように出た。
酢味噌合え、お浸し、酢の物、味噌汁の具、正直言うとあまり好きではなかったが、酢味噌和えだけは大好きだった。
祖母の家の近くでは、冬、雪の下で栽培する方法が20数年前から行われ、市内の八百屋やスーパーでも見かける。酢味噌和えにしてみるがいまいち昔の味と異なる。
ぶよぶよしてあまり美味しいとは思えない。そういえば幼い頃見た浅葱はもう少し細かった。昔はどこの畑でも見かけたこの浅つきも、ここ近年は、除草剤やトラクターを使用した耕作方法の普及で姿を消しつつあった。
しかし山奥の里山で過疎のために耕作放棄された畑にこの浅葱が見られるようになってきた。この頃は雪解けの畑に浅葱摘みの姿を見かける。
*つづく・・


毎日一人で昼飯を食べるのが嫌になると時々外食をする。調理場から抜け出して、誰かを誘ったりしながらいそいそと出かける。市内にもお気に入りのレストランや食堂が数店あるがいくつか紹介をしてみたい。自分が食べに行きたい基準のようなものがあるが挙げるとすれば先ずこんなとこだろうか。
①真面目にきちんと、手を抜かず造っている事
②化学調味料が少ない事
③過度のサービスがない事
④トイレがきれいな事
そんな中でお気に入りはこの店、飯盛山の近くのリオンドールと言うスーパーの駐車場の西手にあるパパカルドというイタリアンの店。
目立たないので気をつけてもらいたい。最近はまっているのがこの店のスリランカカレー。息子に教えてもらい二人で食べに行きいっぺんで気に入ってしまった。オーナーは昔会津にお店を出す時からの知り合い。東京で腕を奮い、業界では注目されている人物だ。どういう理由かは定かでないが、スリランカの知り合いからおそわったとかで、先ずは自分たちがはまってしまったらしい。(奥様談)
ここのオーナーシェフは、とても真面目で腕が良い。青山にでも行ったような、田舎には珍しいくらいしゃれた味を堪能させてくれる。もともとはイタリアンのお店だが、俺はここのスリランカカレーにはまってしまった・・又行こう・・。


籠太のお客同士、カウンターで隣り合わせになったばかりに交流が始まり仲良くなる事が多くある。それも若い者はかごたが縁で、結婚までいった者もいる。
でも仲良くなったのはいいが、あいつが来るなら俺も行く、とばかりに仕事もそこそこに駆けつけて来る。雪が降ろうが台風が来ようがお構いなし。ああ~!本当にどうしようもない。
子供がそのまま大人になったようだ。(失礼!)子供の気持ちを忘れていないとでもいうか。幸せだ!今年は雪が深い、雪が良く似合う籠太のカウンターは、今日も不思議な人たちでにぎやかだ。

| 05.お薦め連載「季を食らう」 01月06日 20:55 |
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平椀、次に献立の中で手間のかかるものは平椀かもしれない。いわゆるお煮しめだが、精進(京都禅宗型)では、季節の様々な食材を煮物にする。
4日の日は長芋を皮付のままひげ根を焼いて、斜めに厚く切り油で揚げたものを醤油味で煮しめ、そこへ蓬(よもぎ)麩と寺で採れた椎茸の煮物を添えてみた。
あくる5日は、4日の晩、寺から戻り、寒い中眠い目をこすりながら作った自家製のがんもどきと、添えには梅麩、そして高野豆腐と菜の花を添えてみる。
曹洞宗の開祖道元は食事をつくる僧の心得として、その著「典座教訓」の中で材料は自分の目のように大切に扱えと道具は自分の手のごとく扱えと教えている。
禅堂では米のとぎ汁でさえ無駄にされる事はない
この寒い調理場で、毎年道元様の教えをかみ締める。
*続く

| 05.お薦め連載「季を食らう」 01月05日 18:42 |
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このお寺に出入りをさせていただくようになって、こんなな大雪になったのは何年ぶりだろう。年賀のお客様のために迷惑をかけてはいけないと、雪の心配から店に泊り込んだ。朝7時に出発、雪の中をいつもの倍の時間をかけてようやく寺に着いた。
庫裏の典座(寺の台所)は凍えるように寒い。大きな薪を炊くかまどに火を入れて、台所の柱に貼案(献立)を貼り、手伝いのおばさんたちとの挨拶もそこそこに仕事にかかる。
先ずは出汁取り、前日から戻しておいた「椎茸」の戻し汁に昆布だしをブレンド、だし汁を整える。次に寺で秋遅く漬け込んだたくあん、白菜の漬物を出してもらい香の物の準備をする。
ケンチン汁の指示をしていよいよお膳のメイン胡麻豆腐を切る。今年の胡麻豆腐は少し胡麻を焦がし香を付けてみた。
*次に続く

| 02.親父と「出会い」 01月02日 17:30 |
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平さん・・
何処でこの人と出会いが会ったのか今でも考える。20年前取引を始めた魚屋で紹介されたのが最初のような気もするが・・確か市内の繁盛店の料亭の調理長だと紹介されて近づきがたい人だなと思った記憶がある。
その料亭で平さんは、長い事、数店舗の総調理長として、活躍して華やかな時代を経てきた。若くしてこの業界で板前たちの面倒を見始めていた俺に、40台の後半から調理場に調理師会の縁を頼って様々な高齢化した板前さんたちが来るようになった。
それぞれに、昔の華やかな時代を見ていただけに辛いものがあった。「俺もいずれはこのような時代が来るんだと」秘かに自分に言い聞かせ、職場の斡旋や個人的な悩みを聞いてあげた。
数年前、年を経て退職し行き場を失った平さんが、毎日の様に籠太の前を散歩している時に、昔お世話になった魚屋の番頭をしてた二瓶さんが、平さんに声をかけてくれた。
「ここの親父も忙しいから、平さん手伝ってやれないか」
それから籠太の仕込をお願いするようになった。仕事を一緒に始めて見て、平さんは本当に真面目で頼りになった。
確かに年をとっているから若い者ようには行かない。しかし確実にきちんとした仕事をしてくれる。今年も2日から二人で寒い調理場で仕事を始めたが、この人に出会えて本当に良かったなと思う。

| 05.お薦め連載「季を食らう」 01月01日 11:40 |
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毎年我が屋では正月2日から仕事が始まる。お店は3日からの営業なのだが、調理場では、柳津町にある福満虚空蔵尊円蔵寺の年賀の精進料理を作る仕込を行う。
寺の境内で取れた筍、椎茸、野菜、それに信者の方から毎年寄進される様々な食材を使い、年賀のご挨拶に来た方々に精進料理が振舞われる。
この仕事を始めるようになったのは、まだ柳津町にすんでいる頃に、さるVIPのかたがこのお寺を訪問されるに当たり、昼食の精進料理を依頼されてからだ。
その食事が気に入られたのか、それ以来現住職様から「ご用達」のお墨付きを頂き、何か大きな行事や法要があるとお仕事をさせていただくようになった。献立は毎年ほぼ決まっている。以下のような内容だ。
**1月4日柳津円蔵寺年賀献立**
お平・・・・車麩、湯葉、菜の花、椎茸、梅麩の煮物
坪・・・・・・胡麻豆腐
木皿・・・・筍の南蛮煮、黒豆松葉刺し、赤カブ、いかだ牛蒡、〆豆腐
手塩皿・・ほうれん草とふきのとうの和え物
小皿・・・・香の物(白菜、たくあん)
汁椀・・・・けんちん汁(サトイモ、ごぼう、大根、豆腐、糸こんにゃく、)
もうこの仕事を始めて20年以上になる。この典座の仕事は自分の修行、日本に鎌倉時代、禅宗が伝来した時からの伝統の重みをかみ締めながら。毎年今年もお寺の御用を勤める事が出来た事に感謝して、今年の仕事が始まる。