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橋を架ける男
久しぶりに訪ねて来た友人が磐梯山麓から見た蕎麦畑の白い情景を美しいと感動していた。この頃になると友人の蕎麦屋の親父の事を想う。
今日も磐梯町の新そば祭りに家内と出かけてきた。あいにくの悪天候にもかかわらず駐車場は満杯、大きなリゾートホテルのスキー客用の食堂は蕎麦を食べる人でいっぱいだった。
秋も深まり新そばの出る時期になると、会津盆地はどこへいっても毎週日曜日は蕎麦祭りがおこなわれている。文字どおり会津は日本一の蕎麦ランドだとおもう、おもえば、私の友人の蕎麦屋の親父が、「会津を日本一の蕎麦の里にするんだ!」といって十数年前から駈けづりまわり、文字通り日本一の蕎麦の里にしてしまった。
20年も前、私の店で当時の山都町の町長を接待し、机をたたきながら説明していた現場に俺も居合わせた。その当時会津は蕎麦の専門店なんてほとんど無かった。おそらく町長も半信半疑で聴いていた様な気がする。
時々、旅行したさきで蕎麦を食べるが、会津の蕎麦はレベルが高いと感じる、あんまり失敗したなという店は無いのが嬉しい。ここまで彼のリーダシップのもとに地域が努力したのだとおもう。
彼と酒を飲んだときにこんな事を言ったことがある。
「あなたは橋を架ける人だ、橋を架けたい人ではない」
橋を架けたいひとは、橋ができたあとに橋の横に自慢げに自分の銅像を立てる。でも橋を現場で架ける人は大変だ、滑落事故で死ぬような犠牲者も出る、橋ができた後でここを車で通る人は、橋からの景色がきれいなことには想いをめぐらす人はいても、この橋を架けるときにどれだけの人が犠牲になったかなんてことを考える人はいないだろう。蕎麦の里は自分を犠牲にしてかけづり回ったこの親父の熱い想いから始まった。長い間その一部始終を見てきた。
彼が有名蕎麦屋の親父として色々な事をいう人はたくさんいる。しかし俺は彼を尊敬している。彼が会津の蕎麦の恩人であることを知る人はそう多くは無い。蕎麦を食べるために行列をつくる人を眺めていて、彼の夢が実現したことを感じていた。


どうもWEB上のイメージでは酒の呑み方にやたらうるさい頑固おやじの店(ありがち)だと思われるらしい。見識ぶる寿司屋、酒にやたらと押し付けがましい居酒屋親父・・自分もそんな姿を見て、ああ・・こんなふうにはなりたくないなと思う。
しかしときどきカウンターの中で、あれ?俺自身がいやらしい親父になってないか?とはっとすることがある。昔京都に大好きな寿司屋があった。たしか「松井」といったか・・今もあるんだろうか?温和なニコニコしたおじいさんが作る、さば寿司や千枚漬けの握り、卵焼きの握りの美味しさは今でも忘れられない。
このおじいさん不機嫌な顔を一度も見たことがなかった。やさしく慈愛にあふれその笑顔が寿司をさらに美味しくしていた。俺もあんなふうになりたいと長い間願っている。
そうそう東京の居酒屋では、大塚の駅前にある江戸一のおばあさん(失礼・・お姉さん)もあこがれる人だ。無駄口をたたかずにこにこして燗をつける姿が何ともいえない。
ものすごくこだわっているかのように思われ、それをお客様に押し付けている様に誤解されてしまのかもしれない。又いそがしいと怖い顔をしているようだ。人生の修行がまだまだ足りない・・・
要は美味しければそれでいい。こだわりという言葉があまり好きでない。ただあとから安全なものに美味しいものが多いということを発見しただけだ。
この前も野菜になにか苦味を感じてサラダが美味しくないと調理場でぼやいていた。残念ながら会津は冬が長く端境期があり、全てが契約栽培農家の野菜でまかなうことができない。
悔しいけれどこの前食べた郊外のファミレスのサラダの方が美味しく感じる。歯の治療のせいなのかどうか・・

| 01.親父の「ぼやき」 10月03日 15:06 |
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俺はかぼちゃが好きだ。煮物、カレーかぼちゃで何でも作る。ところが女房はいも、まめ、かぼちゃは食わなくてもいいと思っているらしい。
かぼちゃは何時ごろから会津で作られるようになったかははっきりしないが、すでに会津では江戸時代の中期には定着していた。足軽たちの狂歌「徒の町百首俗歌」にもかぼちゃは多数登場する。かぼちゃは彼らの貴重な食料だったらしい。
「かぼちゃ茶請けに婆たち、娘ほめほめ、嫁のざんぞう」秋の陽だまりの中、狭い足軽長屋の縁側に煮物の南瓜を持ち寄っていつもの話に花が咲いている情景だ。まったくいつの世も変わりないものだと思う。
さて時代は移り、何時の時代も嫁だって負けてばかりはいられない。先日近所の八百屋に買い物に行ったらそこで店に後から入ってきた女性が、いきなり店番の婆さんに向かいこう言った。「ぽくぽくした、姑がむせって死んずまうようなかぼちゃちょうだい!」
俺はそれを聞いて噴出してしまった。

| 02.親父と「出会い」 10月01日 21:42 |
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この感激に一言お礼が言いたくて、滋賀県大津のお店にお手紙を書いた。
講演テープをごみの中から拾ったこと、そのテープを聴いて感動したこと、今テープを聴いて自分がこれからどのようにしてこの商いを続けてゆくかなど想いを素直に書いてみた。
しばらくして柴田社長から返事のはがきをいただいた。
そこには「自分の社(お店)に毎朝手を合わせなさい」とだけ書いてあった。テープは酒屋の徳さんや多くの知り合いにも聞かれ、多くの方に私と同じように感銘を与え、テープはあちこちで何度となくダビングされた。
籠太の鶏を提供していただいている栗城さんも大きな影響を受けた。折りしも日本経済はバブルの中に入っていた。しかし私たちはこの柴田さんのお話のおかげで栗城さんも、酒屋の徳さんも時代とはまるで異なる方向に自分たちの方向性を見出し始めていた。
それぞれに本物の商いとは何か模索していたのだと思う。「お客様と社員、ならびにその家族がどうか幸せでありますように。」柴田社長のこの想いが私たちの心を激しく揺さ振った。