Jump to navigation

出会いは不思議だ。20年前のある朝、店の危険物を出していたら、ビニールの袋に入れられたラジカセが捨ててあった。中にはカセットテープが入っていた。なんとなく修理すれば使えるかもしれないなどと拾ってきた。
開店当時なかなかお客さんにきていただけなく、まだ子供も小さく、一人で全てををこなしていた。仕入れ、仕込み、花摘み、調理、掃除、仕事が終えてから少し仮眠しシャワーを浴びて又お店に戻り、深夜お店で一人仕込みをする日が続く。
若かったし、特につらいことはなかったが、深夜の仕込みはとても寂しかった。ラジオがあれば慰めになるかもしれないなどと思い拾ってきたのである。カセットを入れてラジオ電源を入れたら、意外にもラジオが動いた、誰かの講演テープだった。このテープを夜中に何気なく聞いていたら涙が止まらなくなってきた。何度聞いても涙が出てくる。
それは柴田さんという滋賀県大津の菓子屋さんの社長さんの商業界セミナーでの講演テープだった。このテープとの出会いが自分の運命を大きく変えた。
(滋賀県大津の叶松寿庵寿長生の里)
http://www.sunainosato.com/

| 01.親父の「ぼやき」 09月16日 00:53 |
コメント(0) |

以前から座禅はしていたのでたかをくくっていたら、永平寺は とんでもなかった。
何せ時間が長い、座っているうちに体が痛くなるは、妄想が次々と泉のように湧き出てくるは、あるときなどは絶叫したくなってどうしようもなかったりした。
こんな事もあった。就寝をする部屋で足を伸ばしリラックスしていたら、用事を告げに来た雲水が、私をめがけてづかづかと近づいてきていきなり足を蹴られた。蹴られた意味がわかるのは下山してからだった。辛くて逃げ出したくなった。
やがて数日を過ぎる辺りからは落ち着き始め、座ったかなと思ったら、いつのまにか時間が来ている事が多くなった。
質素な食事はかえって体調をよくしてくれた。半断食に近い状態になったのだ思う。瞬く間に二週間が過ぎて下山することになった。不思議なことにこのまま留まって居たいと思うようになっていることに気づいた。
やり残した事を全て終えて、本気でこのまま修行僧になりたいと願った。私が山門を出ると、どんよりとした北陸の空に突然天地を揺るがすような雷鳴が轟き、雪が激しく降り始めた。


苦悩する心は安定を求め、宗教に安住の地を求めていった。
なぜか他の宗教には納得できなかったが、偶像を否定する、禅の考え方に次第に惹かれてゆく。
知り合いの和尚様の紹介で寒中の永平寺に飛び込んだ。心の中でこのまま出家してもいいとひそかに思っていた。
1月23日入山。そこは畳が凍る、雪の極寒の世界だった。初日から早朝4時30分、雲水が鐘を鳴らし起床する。
禅堂で指導僧の導きで座禅を組むなかなか覚えられず苦労したことが日記に書かれている。食事も座禅を組んだままする。掃除、読経、就寝、全てが形を作ることから始まった。形ができて心が出来ていくという考え方だ。修行僧はトイレの使用の仕方や、顔の洗い方まで厳しく指導される。
当時の食事記録が残っている。
1月26日、道元禅師生誕日
朝 おかゆ(餅いり)
ごま塩
たくあん漬け
昼 きんぴらごぼう
ご飯
味噌汁
漬物二種
夜 煮物(いも、大根、油揚げ、)
酢の物(もずく、柚子)
漬物(蕪の千切り)
飯
こんな食事が2週間続いた。
私がお山にいた2週間の間に人が次々と入れ替わり、気まぐれや軽い気持ちで入山した人が次々と脱落して下山していった。


俺は少し間違えばお坊さんになっていたかもしれない。20代の後半、本気で出家しようと思ったことがある。当時の日記を見ると、何もかもに絶望し、激しく揺れ動き、行き場を失った心の情景が甦り切なくなってくる。
考えてみれば19の頃には、大学紛争でマイクを握り絶叫するかのように演説していた。当時多くの若者が、大学に泊り込み革命が本気で起こると信じていた。
ある日、風邪がきっかけで神田の古本屋街で立ち読みをしていたら、柳宋悦の「手仕事の日本」という本に出会う。柳宋悦の文章は、荒れていた自分の心にさわやかな風をしみこませてくれた。この本が切っ掛けで駒場の日本民藝館に足しげく通うようになる。
そこには名もない民衆の「芸術を標榜しない」日本の本当の美があった。見られることを意識しない用の美、漆器、陶器、家具、衣類、など民芸の美しさに魅了された。気がつくと夕方になっていることが度々あった。
少しづつ心が運動から離れ始めていた。東大の近くに民芸館はあり、周辺でデモの群れによくであったが、マイクの演説やシュプレヒコールも、デモを指揮するホイッスルの音、ベニヤに書かれたアジ看板も、ギラギラした若者の眼も何か他人事のように思えてきていた。
何か手応えのある仕事をしてみたい。当時はそんなものを探していたような気がする。
日本民藝館
http://www.mingeikan.or.jp/


昔、剛直な従業員を雇っていた。仕事はまじめで研究熱心、お客さんの受けもよかった。
熱心だったのは仕事だけではない、籠太で日本酒の魅力にとりこになってしまった。ただ残念ながら酒で様々な問題を引き起こすことになり、それで仕方なくお店をやめてもらうことになった。
それからしばらく疎遠になっていたが,私どもが花を採集する山で時折姿を見かけることがあった。その彼が最近お店に姿を見せるようになり、時々野の花を届けてくれる。早朝出勤するとガラス瓶に入れた野の花が届けられていることもあった。こんな形で俺の影響を受けていたのだなと妙に嬉しかった。
常々どんなに腕がよくても、美がわからないのはどうしょうもないなと思っている。感動がないと仕事が時間の経過と共に薄汚れてくるような気がする。若いときに、一流とそうでないものの差は、美がわかるか感動できるかであるような気がすると、ある京都の名旅館の女将に控えめに言われたことがある。それが心に残った。
しばらくして彼が雇われたお店に行ったら、さりげなく野の花が壁際に飾られていた。お店ばかりでない、何となく彼が作る料理は自然な風の匂いがした。心の中にも花を活けられる様になったのだろう。
今籠太の裏の調理場を任せている大友くんが大学生のとき何をしてよいかわからず、心の漂流をしていた頃に、懐石料理屋をしている店に母親と来て、床の間の籠に活けられた二輪草の花を見て「ここで働いてみたい」と思ったという。その大友君も我が家に来てもう十数年になる。最近結婚し、もうすぐパパになる。

| 03.親父の「お薦め」 09月01日 22:57 |
コメント(0) |

おかげさまで今年のトマト串、今週を持ちまして終了させていただきました。トマト供養をさせていただきます。
今年もどれだけの人が口のなかにやけどをしたことか・・それでも食いたいトマト串。
生産者の栗城さん本当にお世話になりました。昨年は天候不順で病気にあい、思うようにトマトができなかっただけに本当に今年は最高の年でした。
これから登場する、サトイモや葱、ジャガイモが楽しみです。