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| 02.親父と「出会い」 09月20日 17:36 |
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しばらく姿が見えないと思っていた人が、開店と同時に入って来た。ここ2、3年見なかったが以前はよくご夫婦で見えられた。誰もお客さんが居ないので、カウンターの端、俺が洗い物をする、お客様に一番近い席に座って貰った。そういえば、いつもきれいな奥さんと、仲良くお酒を飲んでいる姿が印象的だった。
何気なしに「あれ?今日は奥さんどうしたの?」と聞いたらしばらく間をおいて「妻は亡くなりました」。そういえば以前見えられたときに、奥様が顔色が悪いなと思っていた。悪いことを聞いてしまったと思い、失礼をわびた。聞けば病に気が付いたときは手遅れだったという。
そのうちにお店にお客様が立て込んできて、お店は急に忙しくなり、一段落したときにふっとこのお客様の席を見たら壁側に近い席に、もうひとつ見たこともない杯が置いてあるではないか。聞けば奥さんと共に持ち歩いたマイグラスだという。その杯に酒が注がれているのをみて目頭が熱くなった。
店が満席になり始めた。杯を置いたお客さんが「詰めましょうか?」というので、俺は「そこは奥さんが座っているから空けておきましょう」といった。俺には奥さんの姿が見えたような気がした。
俺ができる精一杯のことだった。このお客さんは、乱れることなく静かに酒を飲み、「又来ます」いって帰っていった。忙しかったせいもあるが、たいした会話もなく住所も名前も聞かなかった。
その晩、遅く家に帰り焼酎の水割りを飲んでいたらこのお客のことを思いだして、無性に涙が出てきた。俺も昨年、妻の母親がなくなり、父親も高齢なので仕方なく別居生活を始めた。別居して、妻のありがたみがしみじみわかった。馬鹿な俺は素直にありがとうと言えない。あの人もきっと元気なうちにありがとうといえば良かったと思っているに違いない。

| 02.親父と「出会い」 09月08日 16:35 |
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出会いは素晴らしい。この豆腐にであったときは「ドキッ」とした。特に塩だけで食べる塩豆腐がおいしい。いつだったか友人がこの豆腐をおみやげに持ってきてくれた。俺は豆腐が大好きであちこち美味しい豆腐を捜していたがこんな豆腐にはついぞお目にかかれなかった。いままに食べた経験がないほど美味しかった。この豆腐を造っている人に会ってみたいと思った。
豆腐をつくっている小原さんはIターンである。もともと高郷村とは縁もゆかりもなかった。田舎暮らしにあこがれてあちこち住む場所を探して歩いているうちに、喜多方から山都に抜ける、慶徳峠からの景色に魅了されここに住みたいと決めてしまった。
最初山都に住んで生活するための様々なことをして模索が続いたそうだ。パン屋がいいか、そば屋がいいか、しかし豆腐屋はハードルが高いような気がして豆腐屋になるとは考えなかった。たまたま喜多方市の図書館で豆腐作りの本に出会い、試してみたら美味しかったので、これならやれると、修行や経験もないのに無謀にも豆腐屋を始めてしまった。
いまこんな人がいい仕事をし、いま素晴らしいビジネスモデルを作り出す。近代化は標準化と安定化を要求し、常識が固定されていく。「こうなったら、こうする」という対処法も含めて、定型句ができあがり日常化される。しかしいずれは陳腐化し、お酒も食べ物も業界の常識を踏み外しているような人が、あるいは素人だと思われるようなやりかたがヒットをうみだしている。
おそらく豆腐業界の常識を知らないからこんな豆腐が生まれたんだろう。後でわかったことだが、このご夫婦、元は京大をでてコンピュター会社に勤めていた、エリートサラリーマンだったという。人生はさまざまだな~と考えてしまう。小原さんとお話をしていると自分の幸福論を明確にお持ちなのがよくわかる。
毎週この豆腐を買いに、週一か二回ぐらい小原さんの所へ豆腐を取りにゆく。辛い時もあるが、豆腐を待つお客さんの顔を思い浮かべながら豆腐街道をひた走る。