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籠太の路地あんどん
籠太においでになられた方はたそがれ時に
門の内側におかれたこの行灯を
きづかれているかと思います
なかなか良い雰囲気をかもしてるとは思うんですが
あの路地行灯、実は手作りなんです。
本体はの 骨組みは喜多方市の熊倉地区に伝承されている
寝曲がり竹を使用してる人に今から8年前に作ってもらったもの
それに新潟の久保田のラベルをつくってる工房の
和紙を張りつくりました。
実は作る過程で何が一番大変かというと
この和紙を張るというのがむずかしい
何度も失敗し、どうも竹には専用ののりがあることがわかり
インタネットで捜しまくりました。
のりを塗りそこに和紙を張るのですが
何度も失敗し思いついたのがのりをはったあと
太目のビニール紐をぐるぐる巻きにする方法
これが大成功
写真:hitatinotono


一手間
籠太の塩から良く美味しいとお褒めの言葉を頂戴する
この塩辛の秘密を紹介します
いかを求めて皮を剝くとこまでは同じ
このあとがちがう
いかのえんぺらと身の部分の水分を
きれいにタオルかキッチンペーパで拭き取ります
ざるに並べ薄く塩をして一晩干します。
少し太陽にあてるとうまみが増します
(扇風機がなかなかいい)ふゆだとそのままでも十分
かぱかぱの状態なれば細くきります。
(すいぶんをしっかりぬく)
わたは塩をして水分を抜き一晩脱水します
翌日わたは醤油に漬け込みます。
3日目にわたと身を良く混ぜ合わせます
こうすると長持ちしますし
美味しい塩からがで着ます

| 01.親父の「ぼやき」 11月13日 16:32 |
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人生のなかでよき出会いはすばらしい
友人の紹介で栗城さんとであったのはもう20年以上も前になるだろうか
美味しい卵と野菜を探していたころだった
人生のなかでこの人との出会いがその後の人生を変えた人がいますかといわれたら
私は間違いなくこの人との出会いはそうだと答えたいi
、
栗城耕さん、もう80歳を超えた
多くのことを彼から学ばせていただいた
商売に対する考え方、生き方、幸福論、話をしていると時間が
瞬く間に過ぎていった。
誰もしようとしない有機農業を実現させたくてその後、
長い時間この人と様々な活動をする。お互いの信頼関係は
ますます深まるばかりであった。
あれから20数年お時間が過ぎて
有機農業をする人も当時とは比較にならないくらい
増えてきた。
彼も私も橋を架けて、その脇に銅像を立てるようなことはしなかったとおもう
あの人たちががんばったおかげで有機農業はここまでこれたんだ
などと評価されなくてもいいそのことを栗城さんはよく言っていた。
彼のように生きなければといつもおもう

| 05.お薦め連載「季を食らう」 11月13日 15:47 |
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大根が美味しい季節になりました。
籠太では大根を栽培してもらっている農家が
数件あるが、まず今年は手始めに栗城農場さんの大根が
入荷し始めてきた。
畑には不思議な力があると感じたのは何時頃だっただろうか
昔、いやなことや、辛いこと、悲しいことがあると
よく栗城さんの畑に行った。
自然と時間の経過とともに自分の心が癒されていることを感じ始めていた
どこの畑でもそんなことを感じていたわけではない
特に彼の鶏を飼っている鶏舎周辺の畑には
そんな力をいただいていたような気がする。
この養鶏場の鶏はそのほとんどが籠太で使用される
その鶏たちの排出する鶏糞は、乾燥醗酵を経て畑に戻される
この大根のうまみは表現ができない
オリーブオイルと塩をたらすと
まるでデザートのようになる。

| 01.親父の「ぼやき」 11月01日 13:24 |
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先日日本経営品質協議会の田村さんと再会した
数年前、福岡中小企業家同友会の勉強会に講師として呼ばれたことがある。
私の前にわかりやすい内容で経営品質とは何かをお話され、
面白い話しぶりに感心した
田村先生の講義は数回受けているがとても面白い
... 私はなぜ呼ばれたかというと、
実践してお店がどのように変わって言ったのかをはなしてくれということだった。
その後福岡から数名の人がお店に見学に来てくれた
経営品質との出会いは衝撃的だった。
考えながら仕事をするようになったと思う
この学習プログラムで認識したこと・・・
売り上げが伸びないのも会社の業績が伸びないのもす
べて自分に問題があると認識させられた、
認識できたことが大きな成果だと思う
もしこの出会いがなければ日本の居酒屋百名点
に選ばれることもなかったように思う

| 01.親父の「ぼやき」 10月10日 09:37 |
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歯ブラシの話
籠太でなくてならないものがこの歯ブラシ
ホテルの経営者の友人から使用済みの歯ブラシを頂く
それを殺菌して乾かして大切に使用する.
特に魚のおなかを洗うときは重要だ
アジ、鯖、など下ろす前におなかのなかに
背骨に沿ってある血合いをこの歯ブラシで静かにこする
この仕事が重要でこれをしないと魚が早く痛む
それでもなか骨の髄から血がにじんでくる
きれいにした後にキッチンペーパーを詰めておく
これで鮮度が落ちるスピードが遅くなるというわけ
また掃除にも欠かせない
歯ブラシは本当に大切だ

| 01.親父の「ぼやき」 09月30日 16:24 |
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秋刀魚が怖い
秋になると必ず売れるのが秋刀魚串
籠太あき一番の人気商品、ところがこれがなかなか手がかかる。
だから同業者が真似をしようとはしない。
一回の仕込み量が23匹入り二箱、
... 週末になると三箱も有る
秋刀魚三枚におろして軽くしををして扇風機で身のほうを干す
それから梅肉を表面に塗り大葉を張り
巻き込んでくしに刺すわけだが
やたらと売れる代わりに、朝早くから仕込が始まるというわけになる
体中秋刀魚臭くなるのは必然
秋刀魚をおろしているのを夢にまで見る
秋刀魚は恐怖だ
ねこが秋刀魚のにおいに体を摺り寄せ、手をぺろぺりなめる

| 01.親父の「ぼやき」 09月12日 10:01 |
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籠太の人気ものしめ鯖君
籠太の人気者です、食べログのコメントにもたくさん
しめ鯖が美味しいと書いてあります。
その名も「親父のしめさば」親父がかなり自慢してます。
今日はこの美味しいしめ鯖の秘密を公開します
... ただ籠太のしめ鯖は作り方のプロセスがちと違います
鯖をおろして塩をして酢でしめるところまでは同じ
ただこのあとが違います
一枚一枚真空包装の袋に入れて真空し空気を完全に遮断します
理由は簡単です、鮮度が落ちるのは二つの理由からです。
ひとつは酸化、鯖のように血液中に鉄分の多い魚は酸化が早いです
もうひとつは雑菌によるもの、空気中に居る、枯草菌を始めとする
好気性菌は自然界のものを分解するためにいわゆる腐敗を増進
します。この二つを遮断するわけです。
だから切り口が赤い美味しいしめ鯖になるわけです
このまえこれを見た何もわからない気お客さんが
お客さんが会計のときに「がっかりした、食べろ具の評判を見てきたが
この店はレトルトの既製品を使用しているのか」と
言って帰ったという。
それを聞いた俺のほうがそれ以上にがっかりした
物を知らない人に説明するのは大変なことだ

| 01.親父の「ぼやき」 08月27日 16:06 |
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もう夏休みもおわりかな・・・
幼かった頃、夏休みは何よりの楽しみでした.
入道雲が東の空に現れるころ近くの
ため池や沼に良くショウジョウトンボの姿を見かけた。
他のトンボと違い真っ赤な姿は本当に目立った.
縄張り意識が強いのか、近くのため池にも
個体数は他のトンボに比べ多くはなかった.
夏も終わりごろにあかとんぼと異なり,
あの美しい赤い姿をおもいだす
積乱雲、青い空、水遊びの子供たちの声、
ひぐらしの鳴き声夏の様々なことがよみがえる
写真提供・・hitatinotono

| 01.親父の「ぼやき」 08月21日 12:13 |
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様々なところから原稿を頼まれ
古い時代の食文化について書く機会がおおいが
そんなおいらが最も参考にしている、資料「本朝食鑑」
日本人が元禄以前にこのようなものを食べていたのかと
驚くことしきり。たとえば江戸の初期、名古屋周辺や関東一円で
...蕎麦やうどんを食べることが大流行し、
それを辛い大根おろしで食べるのが定着する。
とくに関東のねずみ大根は特に辛く、
会津では大根が赤みを帯びた地大根がその流れを汲んでいるようだ
そばやうどんを作る技術が、元禄ごろには一般にも
確立し大流行したらしく、そのあたりの事情が克明に書かれている、
そばは大根汁で食べるのが江戸時代はあたりまえ
しかも辛みのつよい大根がいくつもの種類、各地で栽培されていたことがわかる
会津の高遠そばなどもこのあたりにルーツがあるらしい
平凡社の東洋文庫、地味な本だがその世界の広さは語りつくせない
これから読みたい東洋文庫が山ほどある


還暦
とうとう誕生日が来てしまった
親父もとうとう還暦、知り合いが「赤いちゃんちゃんこ」か
というので、無性にに頭にきてうるせー「俺は赤いポルシェ」だと息巻いてやった
ただ自分をほめてやりたいのは新しいことに「俺はだめだとか}
「年だから」という意識がまるでなく。好奇心の塊みたいなところが
ある。それは俺の素晴らしいことだと思う
「え?まわりの迷惑もかんがえろだって。」
そんなことしったことか
でもきがついたら、酒飲む仲間や話し相手が同世代や
その上の人が引き潮のごとくいなくなってしまった
自分の息子のような連中と遊んでいる
でも楽しいからいいではないか、これから何年生きれるかどうかわからないが
何かしでかしたい欲望にうずうずしている
悪あがきをしてやる、みてろ
昨日、国立の素敵な夫婦から花束を頂いた
親父還暦と書いてお店の一番目立つところに
おいてみる

| 03.親父の「お薦め」 07月26日 08:08 |
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もうずいぶん前になる
料亭をしている時代、若い夫婦が私の店煮来店してくれた
友人の紹介だったので部屋を訪問し挨拶をした。
それがこのシェフとの出会いであった
独立して会津若松でお店を持ちたいと話していたが
しばらくして飯盛山の近くに「パパカルド」お店を開店した。
素敵な田舎にはもったいないようなイタリアンのレストランだった
何年貸してお店は七日町に移転したが
素敵な料理とお店は変わらない
さて今日はいとことランチ、
時々ランチを食べに行くけれど
いつも期待を裏切らない
きょうはメインはエゴマ豚を利用したイタリア風の荒引きハンバーグ
親父会津でも数少ないお勧めのお店だ


この大震災の影響は様々なところに出てきている
三陸ものの海産物が入荷しないのには
ほとほと困っている
特にこの時期ムラサキウニが大量に入荷していたのが
ほとんどこない
福島県沖や三陸にうにがいかに品質が良かったかを思い知らされた
最近青森沖のものが入荷したがあたりはずれが多く参ってしまう
養殖牡蠣も干物も三陸ものは品質が良かった先日
あの球姫牡蠣のホンダ水産のホームページを見たが
再開のめどが立たないという
あの牡蠣を養殖していた「6人衆」はどうしてしまったんだろう

| 05.お薦め連載「季を食らう」 05月13日 21:17 |
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江戸時代の物流記録を見ていて
猪苗代湖の湖上水運の重要さに気がつく,
新潟を経由して運ばれる
北前船の運ぶ北海道の乾物とそれを利用した
郷土料理(鰊や棒だら)ばかりが注目されているが
それ以上に太平洋側から運ばれてくる海産物は
意外と注目されていない。江戸時代からすでに会津へは新潟と浜どおりの両方から
海産物が運ばれてきていたようだ.
その代表的なものがさばなまりだろう
古文書などの記録によると
春雪解けとともに太平洋側からいくつもの峠を越えて
さばなまりは大量に会津に運ばれた。
猪苗代湖の福良の港に着くとそこからは
湖上を船で運ばれた。
気温が高くなると搬送が難しくなるので、せいぜい6月ぐらい
までだったらしい。新潟から入る鰊よりもたくさん食べられていたこと
記録からわかる。
そのころ里山に出る独活などの山菜や、焼き麩、細竹などと
よく会う。会津を代表する郷土料理だ


お店は22日に再開した
お客さんは来てくれないものと覚悟を決めていた。
ところが始めてみると予想外にお客様が来てくれた。
皆が生きていてよかったね~などと無事を確認しあった
そんなことが再開以来続いている。
多くのお客様から籠太の明かりを消さないでと励ましのメールを頂いた
あの日から、不安で寝れない夜が続くなか、
お店を再開するかどうか迷っていた。
でも朝から晩まで調理場にいて知らぬ間に再開の
準備を無意識にしている自分に気がついた。
水をあらん限りのペットボトルに詰め込み貯蔵した。
時間があれば、非常食を作り真空して殺菌し溜め込んでいた。
又調理場で意味のない片付けものをしたりして時間が過ぎていった
何かしてなければ落ち着かないのだ。
ふと入院している母のことを思い出した。母はいやなことや辛いことがあるとよく
掃除をしていた。もくもくと掃除をすると
何か辛いことがあるんだなと子供心に察した。
*写真 hitatinotonoから拝借